色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年


私も取り柄も秀でたこともない。学生時代にふっと巻き込まれた冤罪事件を機に家族から信じてもらえず、咎められてから一気に崩れていった。前々から、過干渉などで嫌な気持ちだった。しかし、何とか踏みとどまっていたが今回のことで崩れた。そこから、対人恐怖でかつそんな姿をさらすと格好のいじめの的にされた。

何もかも自信をなくし、自分自身を家族をいじめてきた子を憎み、自傷するか法を犯すまで考えたが行動するまでの勇気はなかった。

本気で笑ったり、楽しい、嬉しいと心の底で味わったことがないし、感情を表に出すことができなかった。
当時も今も笑うことが苦手で真顔で過ごし近寄れる雰囲気ではなかったと思う。

心のなかでは、友達を作って笑って過ごしたかったし色々体験もしたかった。

当書に『記憶をどこかに隠したり、沈めたとしても歴史は消せない。歴史を消すことは自分自身を殺すこと』『何かがまだ納得のいかないまま自然な流れが塞き止められている』と書かれている。今の自分の無意識下にまだそのくすぶりがありそれと向き合わなければならないのではないかと思った。今までもそうではないかと思っていたが、見て見ぬふりというか気づかないふりをしていた。

今回のご縁と本をきっかけに24年間のくすぶりを解消したい思いで思い切って親と向き合った。

親も親で同じように両親から苦しい思いを強いられていたことを知り、我慢と自分を押し殺していたんだなあと。

鎧となって自由を奪っていた憎しみが、完全に許すまではいかないが、少しなくなった気分だった。

前よりかは自由になれたのかなあと今の今までで一番自分が自分でいれた日だと思った。素晴らしい日であった。